『洛中洛外の群像』感想
洛中洛外図については、細川高国が「絵に写し 石をつくりし 海山を 後の世までも めかれずそ見ん」という辞世の句を足利義晴に送り、それを受け取った義晴が、洛中洛外図の細川高国邸に庭を眺める高国を描かせた、という説を以前に読んで(『室町幕府全将軍・管領列伝』p.475)心が震えて以来、気になっていました。
そして、Twitterのタイムラインで「洛中洛外に興味があるなら、この本オススメです」という情報を見かけ、読みたい本リストに入れたまま数か月、ようやく読みました。
結論から言いますと。
素晴らしい名著でした。もっと早く読めば良かった!!
著者の瀬田勝成先生は中世日本史の研究者で、この本も論文を纏めたものではあるのですが、なんというか、論文を読んでいる気がしないのです。むしろ、推理小説の謎解きを読んでいるような・・・
え?次はどうなるの?とワクワクしながらページをめくっていき、最後まで読み終えると、室町時代の洛中洛外の様子、当時の人が大切にしていた考え方、生き方、商業のあり方、などについて自然と理解が深まってるという・・・
本当、いい意味で騙されたような名著です。
本の構成としては、前半が洛中洛外図(上杉本)に関連して当時の京都の街並みを読み解く内容、後半は当時の文書や日記などから人々の生活や商業を読み解く内容、となっています。
どの章も本当に面白いんですが、特に印象に残った章をいくつか挙げておきます。
論文の本に対してこういうのも何なのですが・・・ネタバレになりますので、本を楽しみたい方は以下は読書後まで読まない方がよろしいかと思います。
失われた五条橋中島
鴨川の五条橋付近に、今の鴨川には存在しない島があった、ということを証明している章です。
洛中洛外図には五条橋付近も描かれているのですが、今は存在しない「中島」が五条橋付近に存在し、橋はその中島を経由して2つ掛けられています。絵に描かれた中島は結構大きくて、松のような木も植えられており、さらに寺院のような建物まで建てられています。
でも、今の鴨川に島はない、です。
しかし、上杉本だけではなく、旧町田本にも東京国立博物館摸本にも旧高橋本にも、そして洛中洛外図ではない清水寺参詣曼荼羅にも、この中島と2つの橋が描かれています。
つまり、絵から見ると、当時は鴨川の五条橋付近には大きな島があった、ということです。
京都に馴染みのない人間としては、これだけでも結構驚きなのですが。
瀬田先生は、絵からの結論だけでなく、しっかりと文献からもこの事実を補強されています。
さらに、文献を解釈していく中で、中島が持ったであろう性質と周辺の人々について以下のように説を展開されていきます。
・中島には法城寺と晴明塚があった
・清明塚は、安倍晴明が鴨川の洪水を沈めた伝承が基になっており、中島の法城寺と晴明塚は鴨川治水の信仰面で重要な位置を占めていた
・法城寺は、現在は三条橋東詰にある心光寺に移された
・上杉本には、島の建物は大黒堂と書かれており、周辺の人々は声聞師大黒堂で、また晴明に関連した民間陰陽師であった可能性がある
・中島周辺は、治水の土木工事技術を持っていた河原者と鴨川の治水に関連する民間陰陽師たちの親密な関係の象徴的な空間であった可能性がある
下2つについては別の研究者の方々から反論も出ているのですが、その点についても補論の中で説明されています。
そしてもう一つ気になること。
では、いつ?どうして?島はなくなったのか?
これについては、承応2年(1653)に作られた地図では、既に島が描かれていないことを挙げられ、「秀吉の大仏造立に伴う近辺の開発、御土居の構築、寺町の形成、高瀬川の開墾等により、鴨川周辺の地形が一変した時代のことではないか」と推論を述べられています。
また、文禄2-3年頃(1593-4)、秀吉によって始められた木曽川の築堤工事のために機内の多くの陰陽師が尾張へ送り込まれた際に、治水技術に長けた民間陰陽師=声聞師たちも連れて行かれたのではないか、そして結果として、中島を守る陰陽師たちの力が削がれ、法城寺そのものも大打撃を受けたのはないか、とも推測されています。
以上がざっとした内容ですが。
どんな文献をもとに、どう理論付けてこの結果が導き出されたのかという一番面白い部分は本のなかにしかないので、やっぱり本を読んでください、と言いたい。
ということで、やっぱり本を読んでください。
公方の構想ーー上杉本洛中洛外図の政治秩序
「京都・一五七四年ー描かれた中世都市」という本の中で、今谷明先生が述べた説に対してガッツリ向き合われた章です。
私自身は今谷先生の本を読んでいないため、フラットな立場とは言えないのですが、要点を纏めてみます。
まず、今谷先生の説は以下のとおり。
・上杉本洛中洛外図に描かれた武家屋敷、寺社建築、公家邸の検討を行い、景観年代の確定を試みる
・結果として、上杉本洛中洛外図に描かれた建築物は、全て天文16年(1547)7月から閏7月の2ヶ月間に存在している
・したがって、上杉本は追憶や空想に基づいた「あるべき姿」ではなく、徹底した写実によって描かれたものである
上記の今谷先生の説は、写実であるとするが故に、大きな弱点があります。それは、一点の例外でもあれば、即、説が崩壊してしまうということ。
この点について、既に絵の中に描かれている建築物の建造年代が上記の期間と一致しないとする説もある、と瀬田先生は書かれています。
例えば、
・「三芳筑前」邸に描かれている「冠木門」は永禄4年に造られた
・「松永弾正」邸が描かれているが、松永久秀自身が天文18年以前に京都での活動が見られないのに、京都に邸を持つか
などの反論があります。
瀬田先生は、更に別の観点から、法華寺院妙顕寺に着目されています。
京都の法華寺院は、天文法華の乱以降、京都から追放されますが、天文11年に帰洛が許されて以来、徐々に洛中に戻っています。
妙顕寺も同じく洛中に戻るのですが、当時発給された文書から、妙顕寺はその名を使うことをしばらく許されず、どんなに早くても天文20年までは「法華寺」と号していました。
この妙顕寺、今谷先生が天文16年の写実であるとする上杉本には、しっかりと「妙顕寺(めうけんし)」と書かれています。
つまり。
写実であるならば一点の例外も許されない、という説が崩れたことになります。
その上で、瀬田先生は、上杉本は、細川家を軸とする京兆体制に加え、新興勢力である三好・松永も相応の位置に置き、調和した政治秩序の構想が描かれたものだろう、と書かれています。
そして、こうした秩序への志向は足利義輝が目指したものと同じである、とされています。
実際、足利義輝は帰京して以来、三好長慶と(表面上は)協力しつつ、細川晴元と三好長慶の和睦を調定したりと、大枠としての足利将軍ー細川家という過去の体制を踏まえた上で、新興勢力である三好家もその体制に組み込もうとしているように思えます。
そして、こうした政治構想が描かれたものである以上、上杉本の製作は、足利義輝と三好長慶の和睦から三好義興の急死までの間になされたものだろう、との説を述べられています。
洛中洛外図については、製作時期や発注者、また実際の製作者、そして描かれている内容、と興味深い説が本当に多いです。
実際のところどうだったのかは、素性の確かな説明書きでも発見されない限りは確定しない気もするのですが・・・それを言ってしまうと色々なものが全否定になってしまいますので、残された史料から当時の状況を読み解き、説を展開される研究者の先生方には頭の下がる思いしかありません。
今谷先生の本も読んでみたいと思います。
一青年貴族の異常死
タイトルからして、何事?!感が満載なんですが。
読んでみると、当時の人々の行動様式を読み解きつつ、子供を亡くした親の心情に触れる心が震える章でした。
この章の主人公は、山科言国。『言継卿記』で有名な山科言継の祖父です。
山科家は代々、詳細な日記を残しているのですが、言国も例にもれず日記を書いていました。
しかし、言国の日記は、日記というよりは日誌と言った方がいいような、出来事だけを簡潔に書き記したものが多く、素気ない内容のようです。
そんな山科言国の嫡子、定言が、19歳の若さで夜盗に殺害されてしまいました。
その死後の記録、例えば葬式の前の口寄せの様子、どのようにして葬式を行ったか、誰が挨拶に来たか、仏事の様子などなどが、言国によって日記に記されています。
そして、日記を読み解いていくと、当時の死をめぐる習俗の世界が垣間見えてきます。
さらに。
素気ないと思われた言国の日記から、一人の人間としての山科言国が死と向き合う生の声が溢れてきます。
初七日以降の仏事を短縮した日程で行って、早く死んだ者の霊を送り届けたい、という思いが見えたり。
人の手を借りずに自分の手だけで写経を行い、それが終わるまではガンとして精進ほどきをしなかったり。
嫡子の死により家を継ぐこととなった次男を観音参りに行かせた心情であったり。
本当に、山科言国の心情に触れたような気がして心が震える章なのですが、一方で、素気ないと言われる言国の記録から、こうした内容を読み解く瀬田先生の凄さを改めて感じる章でした。
上でも書きましたが、歴史の研究をされる方は、ほんの一辺の情報を集めて集めて、繋ぎ合わせて比較して検討して、事実だろうという説を作り上げていくのですよね。本当にすごい世界だな、と思います。
ということで。
特に印象に残った3つの章を纏めましたが、それ以外の章も本当に面白いし読み応えがあります。
京都の流通の話や、伊勢信仰の話、祇園祭の話もあります。
「室町殿医師高間狐付事件」なんていう、もう論文ではなく推理小説だよね?という小タイトルが付いていたりもします。
本当にオススメの本です。出会えて良かった。