『洛中洛外図・舟木本を読む』感想

洛中洛外図強化月間(?)は一応終わったのですが、引き続き色々読んでいきましょう!ということで(あとセールでちょっとお安くなっていたので)、読んでみたのがこの本です。

またまた面白かったので、感想などまとめておきたいと思います。

 

[1]『洛中洛外図・舟木本を読む』 角川選書 黒田日出男

 

著者の黒田日出男先生は、以前にも少し紹介しましたが、様々な説が出ていた上杉本の製作者・制作年代・発注者について、決定的と思われる史料を発見された先生です。その過程を書かれた『謎解き 洛中洛外図』 [2]は、読んでいてホンットにワクワクする本でした。

その黒田先生が!

今度は舟木本に挑む!

 

というのが、この本です。

 

 

洛中洛外図屏風は数多くあるのですが、中でも最初期に描かれた4本を第一定形と分類して多く研究がなされている、というのは以前に書いた通りですが、第一定形以後の洛中洛外図も徐々に変化していきます。

例えば。

織田信長を経て豊臣秀吉の時代になると伏見城が描かれ、さらに徳川家康の時代になると加えて二条城が描かれていきます[3]。

まったくの写実ではないとは言え、その時々の街の様子に政治権力の移り変わりがリンクして描かれていて、本当に知れば知るほど面白い屏風だな、と思います。

 


まずは、船木本について、少しだけ説明を。

 

船木本は、この第一定形の洛中洛外図屏風ではなく、その少し後に描かれた屏風になります。

e国宝で高精細度画像が公開されており、細部まで見ることが出来ます。歴博Webもe国宝も、本当に有難いサービスですよね・・・ありがとうございます!

第一定形ではないのですが、歴博甲本・上杉本と並んで「三名作」と言われるくらい魅力的である、と黒田先生も文中[1]で言われている通り、人物の書き込みと躍動感がスゴイ!描かれている全ての人に、物語が設定されているような、漫画や挿絵を見ているような、そんな人たちで溢れています。

 

この舟木本、初期の4本と比べると、構図が大きく異なっています。

どう違うのかと言いますと・・・

初期の4本は、京都の街の中心くらいに立って、右隻に東側、左隻に西側を描いて・・・

って、文章で書こうとしたのですが、どう考えてもわかりにくいので!

今回読んだ黒田先生の本[1]と小島道裕先生の『洛中洛外図屏風 つくられた<京都>を読み解く』[3]に描かれた図を参考に、歴博甲本と舟木本の構図ぽいものをフリーハンドでフリーダムな図にしてみました。ホントにフリーダムなので、足りないとか曲がってるとかはご容赦ください。あと、書き忘れましたが、青い線は鴨川です。

 

【歴博甲本】([3]参考)

【舟木本】([1][3]参考)

 

・・・うん。もうね・・・ホント、すいません。

参考として本をあげるのも失礼なのでは、と思うくらいの図なんですが・・・

だいたい雰囲気だけでも掴んでいただけましたでしょうか・・・?

舟木本は右隻と左隻が連続してつながった構図になっているのが特徴です。

 

気を取り直しまして・・・

舟木本のもう一つの特徴が、描かれている内容です。特徴的な点は以下のとおり。

・右隻で一番目立つのは、豊臣秀吉が建立した大仏(方広寺)

・左隻で一番目立つのは、徳川家康の命で造られた二条城

・遊里などの風俗や、喧嘩の場面、店舗の客など、庶民の日常風景

 

つまり、初期4本に見られた室町幕府と細川邸などは全く注目されず、変わりに豊臣・徳川時代を象徴する建物が描かれ、しかもそれもどうやら中心主題ではなく、むしろ庶民の生活に焦点があたっています。

上でも書きましたが、舟木本は本当に人物が多く描かれていて、しかも「何か」をしている人が多いんです。喧嘩してたり、店で交渉してたり、女の人に抱きついてたり・・・細川高国の夢だったり、足利義輝の政治構想だったりする屏風では、絶対に見られない描写です。

 


上記のような特徴を持つ舟木本、特にその躍動感溢れる人物描写などが多くの美術史家から研究対象とされてきました。

ただ「風俗画として細部は研究されているものの全体的読解はまだなされていない」ため、絵画史料論を研究する立場から、読解を試みられたのが[1]の本です。

おおまかに内容を紹介しながら、印象に残った点をあげていきます。

 

舟木本の製作者について

舟木本は1949年、滋賀県の民家で発見されたのですが、発見者の源豊宗(美術史家)は岩佐又兵衛の初期作であると直感したと書かれています。

岩佐又兵衛って、浮世絵の源流として有名・・・らしいのですが、個人的には荒木村重の息子で「へうげもの」にも出てきたよね!の方が印象が強かったりもします。

ともかく。

岩佐又兵衛の初期作と見られた舟木本ですが、その後、岩佐又兵衛研究の第一人者だった辻惟雄が、岩佐又兵衛作ではない、との説を示したことから、それに引きずられるように「岩佐又兵衛の関係者が描いたのかも」という非常に曖昧な説明がしばらく続くこととなります。

ここからの展開がまた面白いのですが・・・

辻先生は、岩佐又兵衛研究の大家だったわけです。その大先生が又兵衛作ではない、と言われているのですが、どうもやっぱり又兵衛作なんじゃないの?という雰囲気が漂い始めます。

なかなか面と向かった反論が無かったのですが、辻先生の弟子からも徐々に反論が出始め、ついに愛弟子から雑誌の対談の最中にズバッと聞かれてしまいます。

その後。

辻先生は舟木屏風の製作者について再考し、半世紀に渡って維持していたご自身の仮説を翻します。

これ、すごいことだなと思うのです。

おそらく、研究者としての矜持や師匠としてのプライドから絶対に自説を取り下げたくはなかったと思うのですが、それでも客観的に研究対象を見て説を変えることができるというのは、研究者としても人としても本当カッコイイと思いますし、頭が下がります。

そんな訳で、舟木本の製作者は岩佐又兵衛、これが共通した見解となっています。

 

描かれている内容について

舟木本の構図が特徴的であるのは、前述したとおりですが、黒田先生はこの斜めの構図に着目されています。

舟木本の主題は、これまでの研究では、「右隻の豊臣(方広寺) VS 左隻の徳川(二条城)」というような捉え方をされてきました。

しかし、構図を斜めに傾け、二条通りがいつの間にか五条通りになってしまうような、省略して無理矢理繋げたような絵から見えてくる製作者の意図は、下京をディフォルメして描くこと、だとされています。

さらに、

・遊女屋にかかる暖簾の描写

・各寺院で拝む人々の姿

・金雲の繋がり方

・内裏の人々

・二条城の人々

・祇園祭りの行列

・六角堂

などなど・・・細部に渡って、詳細な検討を加えられ、上記の説を裏付けていきます。

途中で、え?ここに描かれている老女はあの人なの?!なんていう説も出てきまして、非常に面白いです。

こうした読み解きを重ねていくと、舟木本は、ただ一般的な京都の様子を描いただけのものではなく、とても具体的な事件や出来事、そして特定の人物を表現しているものである、とされています。

そして、結果として見えてくるのが、発注者と思われる人物と岩佐又兵衛との関係です。

ネタバレは避けますが・・・意外な人物でした。

 

この発注者についての推論を示されたところで、本は終わっています。

 


以上がおおまかな内容なんですが、見てきたようにこの本はあくまで「推論」です。

以前に読んだ本[2]のタイトルが「謎解き」だったのに対して、「読む」というタイトルになっているのはこういうことか、と思いました。謎解きで示されたような、次々と出てくる論理的な推論とそれを裏付ける史料、とはなっていないので、ちょっと物足りない感もあるのですが・・・そこは、黒田先生も、この本は舟木屏風読解のラフスケッチである、とされています。

 

そして、ものすごく印象に残っている黒田先生の言葉があります。

わたしは思うのだが、作業仮説というのは、もしもそれが適切なら、議論はどんどん深まり、それを裏付ける作品や史料が出てくるものだ。

 

上杉本で史料を発見された黒田先生ならではの重いお言葉だと思います。

前半で岩佐又兵衛作についての辻先生の態度を書かれたことや、この言葉、そして「謎解き」[2]で示されたような研究姿勢を見ると、黒田先生は自説を説かれるのと同時に、後進へ道を示されているのではないか、とも思えてきたりします。

 

私自身は、歴史学とはほど遠い分野ですが、大きく分類すると同じ職種でもあり、色々と流れ弾に当たったりしつつ、それでも楽しく読めました。

 

今後、舟木本のラフスケッチが清書されて完成するような説が出てくるのかな、と楽しみに待ちたいと思います。

 


参考

[1]『洛中洛外図・舟木本を読む』 黒田日出男 角川選書 2015

[2]『謎解き 洛中洛外図』 黒田日出男 岩波新書 1996

[3]『洛中洛外図屏風 つくられた<京都>を読み解く』 小島道裕 吉川弘文館 2016

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